2~4月グループレッスン総括

1月17日お天気の良い朝、51日ぶりに退院した。

まだまだ歩くのもヨタヨタで階段は手すりを持たずには降りれなかった。 また右足が全く曲がらず横座りや足を組むことができない。

子どもとのノートやワークブックを見るときは床に座って行っている。

うーん・・どうしよう・・どうしよう・・と思いながら 1週間後の24日よりレッスンを開始した。

「先生大丈夫?立てるの?」 「もっとゆっくりしたら。歩ける?」 「無理しない方が良いです」 と保護者の方から温かいメールを頂いてはいたが、私の心境は実に焦っていた。

2ヶ月近く休んで、生徒のピアノの練習はどうなってるんだろう? ピアニカは吹いているのかな?

そんなことを考えていたらいてもたっても居られない。

とにかく這ってでもレッスンするぞ!と心に決めていた。

時をさかのぼることになるが、2014年の12月初旬、ベットに寝たきり状態のまま2月5日に行う予定の1曲コンサートの順延を決めた。

悲しいけどとてもではないが、まだまだ起き上がれそうにない。まずはホールに電話、4月以後で空いている日を確認する。そして市の後援を頂いていたのでこれも順延の旨を告げる。

かくして連休の最終日なら皆何処にも行かないかもと予想を立て6日に決定した。

しかし1月からレッスンできるめどは全く立っていなかったのに保護者の方へは「1月からレッスン再開します」と何度もメールを送り続けていた。

そしてなんとか私の予定通りかろうじて1月最終週から個人レッスンスタート。

前述の心境の中 グループレッスンの予定を立てたのだ。

みんなでやるという意識を持ってもらわなくてはいけない。 ピアニカは一人で吹くのではない。

演奏は礼をして弾くよ。

そんな思いは伝わるのか・・・・ そして始まった2月のグループレッスンは予想以上に散々だった。

まずグループの中でまともにピアニカを最後まで吹ける生徒がいない。

吹いても間違ったり、リズムが違ってもお構いなしで人と合わそうという意識が全くなく、ゴーイングマイウェイなのだ。おまけに喧嘩が始まったり、人のものを触ったりとこんな状況でピアノやピアニカが主体ではなく私はかなり凹んだ。

いや、まだグループは始まったばかりあと2回ある!と言い聞かすが・・・ しかし3月に入ると流石に弾く・吹くということにだいぶん意識が集中できるようになってくる。

また12月分のレッスンをこの2・3・4月に組み込んだことが良かったのか、レッスン回数が多く(ほぼ毎週) なんとなくグループから1曲コンサートへという流れを感じているように思える。

それでも楽譜を忘れたり、ピアニカを忘れたりということもあり、ちょっと不安にもなる。

ほんとうに三歩進んで二歩下がるという感じやなと独りごちる。

4月のグループ ピアニカやハンドベルはほぼ?なんとなく?目をつぶって?完璧と思う。

ここまで来たらと「上手!すごい!よく頑張った!」と褒め殺し作戦とする。

弾く方も、礼をして弾いてまた終わって礼をして戻る。 出来る子は椅子の調節もね~と言う。

観客はパチパチと拍手をしよう。 そして最後は皆の名前を大きな声で呼んで終わるという流れも3回目になるとかなりスムーズ。 みな他のお友達の名前も覚えたようだ。

振り返ると怒涛のような3ヶ月だった。平静を装っていたがかなり焦っていた。

6日の日はみんな頑張ってよ!!