◆講師プロフィール


大阪発達障害児の音楽教室、講師画像

天理大学体育学部卒

佛教大学教育学部卒

元日本音楽療法研究会会員

元トラストコーチング講師

関西障がい児ピアノ協会会員

大阪府特別支援学校非常勤講師

 

身体が弱く、競争心の全くない子供

大阪市港区で生まれる

 

母は、幼稚園の先生 ひとりっ子で育ったせいか競争心など全くなく、ぼーっとしていた。

母曰く 「右を向いてなさい」って言われたらずっとその場で右を向いている、それくらい ぼんやり。

やることも遅く食も少なく、好き嫌いはも多く、スローやモヤシとあだ名が付いたくらい。

 

2歳半でピアノを始める

その母に連れられ2歳半よりピアノレッスンに通う。

なぜか狭い家にも関わらず最初からアップライトピアノを購入してくれた。

多分「嫌だ!」なんて言わない子供だったので続くだろうと思ったのかな?

 

優雅で綺麗なピアノの先生

ピアノはずっと続けていた。

小学1年生から先生に自宅に来てもらってのレッスン。

ピアノの先生は、優雅でおしゃれおまけに綺麗な先生だった。

いつしかピアノの先生に憧れた!

先生のことが大好き。

発表会では、いつも最後に演奏していた。

でも上手いとか下手だとかっていう感覚はその時もなかった。

とにかくマイペースなので言われた通り淡々と練習をしていた。

 

 

 

進路では悩みに悩み 「ピアノはおばあさんになっても弾けるから」 と推薦で天理大学の体育学部へ進学。

 

天理大学

寮生活のためピアノレッスンは辞めることになる。

2年生になって記録で伸び悩む。しかしインカレ総合優勝や国体2年連続出場など相変わらず水泳一色の毎日。ピアノはほぼ弾けなくなる。その頃友人に「ピアノが弾きたいな」と漏らしていたそう。それは全く覚えていなかった(笑)

 

卒業、結婚

YMCA に就職。社会体育の活動をする 就職して2年目で大学の時から付き合っていただんなと結婚。

 

23歳 たまーにピアノを弾くぐらいの生活になる。

25歳で出産

34歳 3人を産みちょうど三男が幼稚園に入ったとき

「ピアノをやってたならうちの子に教えて」 と友人に言われる。

 

ピアノ教えて?

それがきっかけとなり勉強、し直す。

気軽な気持ちでピアノの先生を開始。

指導に自信がなかったのでヤマハの勉強会に参加するようになる 。しかしここでは皆、音大出身おまけに私は趣味で習っていたのでショパンやベートヴェンは弾いていたがハイドンやバッハは弾いたことがない!と気付く。そして平均律?古典?ロマン派?何それ・・と自分の無知に落ち込み、クラシックピアノを再度習い出す。また私が過去に弾いた教材はそもそも30年前。指導法も変わっていると感じバスティンメソッドを勉強する。

しかし楽典的なことは読めば理解出来ても、到底追いつかないものがあった。それはみんなの前で弾合いをする「実技」時だった。早いフレーズや作曲者の意図や,もっと言えば初見力、曲の解説や譜読みやリズムも含めて全てが他の先生についていけないことがわかる。”そりゃそうだよな~私が1日4時間も水に浸かってる数年間、この先生たちはピアノに向かってるんだから太刀打ち出来るはずがないな”

 

そして「政田先生はどこの大学?」と聞かれるたびに「た・・・た・・」と体育大学と言うたびに私のいる場所では無いのかなと感じる。

 

一人のお子さんとの出会いがその後の人生を・・・

34歳 YMCA からプレ保育の話が来る

マット運動やお絵かきをしたり、歌を歌ったり その中で一人の男の子に目がいく

それまでうまく輪に入れず好き勝手にしていたその子が、ピアノがなって歌が流れ始めるとどこからか飛んできてピアノをじっーと見て、座っていた。

興味があるようだった。

その子が自閉症だった。

 

障害児レッスン

その子がきっかけになりもしかして自閉症の子どもでもピアノが弾けるようになるのではと、なぜだか興味が湧いて くる。その頃ちょうど、クラッシックよりも自由なジャズピアノに興味を持ち出し、もうバッハを弾くのはいいかなと思いだす。

 

自閉症とピアノ教育

やる気になれば俄然やりたくなる性格。発達障害児とピアノ教育 などのセミナーや多くの講座に通う

「これはどうも机上の空論。やはり現場に入ってみないとわからない」

と思い、 東大阪障害児施設はばたき園で勉強したい旨を話し、ボランティアで保育に参加。

 

東大阪障害児施設はばたき園

すると「音楽の授業を受け持ってみませんか?」という話になり1年間、音楽の時間を担当する。ここでも前述の子どもと同様、全く発語の出ない子どもや意思疎通のない子どもがピアノや楽器を使用することにより椅子に座り授業に参加出来ることを身を持って体験、おまけに音楽も含め得意の体操を活かして身体を動かすこともやってみる。そしてここでやり甲斐を感じる。その後は 障害者施設や児童デイ、音楽グループなどを経験し私のピアノ教室で”障害児”を受け入れることになる

100人以上の障害児

これまでに100人以上の障害児のピアノレッスンを請け負う

重度でも褒めると子供たちは喜んでくれる

脳が快になることはとっても大事 。また身体を動かすことも実践する。

お母さんたちから、できないと思っていたのにできるようになった

じっと座れる、物の認識ができるようになった

 

との感想を・・・