この間知り合いのA先生から「自閉症の年中の男の子なんだけど教則本1が終わり2に進もうとしたらいやいや・・ピアノは弾きたくないしレッスンにも行きたくない」と言われヘキヘキしてる・・どうしたらいい?」という質問を受けた。開口1番「へーすごい!
教則本ができるんや・・たいしたもんやな」これが私の正直な感想、うちの生徒は教則本どころかピアノに長時間座るのさえ難しく、手を変え品を変えレッスンしている状況なのに健常の子供たちと同じようにレッスンできるなんて、先生とコミニュケーションが取れていたり、またこちらの言うことも理解してるとはすごい・・
A先生はなかなかのやり手やぞって思っていました。 ところがどっこい「自閉症という知識自体本で読んだだけでお母さんはどんどん 本を進めて欲しいといわれて軽度ということもあり健常の子供たちと同じようにレッスンしたらこの始末。どうしたらいいかなあ」が彼女の質問でした。
「うーん。それは本を止める事、ピアノを弾かさなければいいやん。脳が不快では物事は何も入らないし本人も辛いよね」が私の答えでした。
「本を止める?脳が不快?何それ・・・本を止めたらお母さんはどういうかなあ・・弾かしてほしいって言われてるし」とまたもや消極的な返事。
「ん?ちょっと待って・・レッスンは子供にしているのであってお母さんの為にしているの?」とちょこっと意地悪質問をした。
「では政田先生ならピアノを弾かさないってこと?」と新たに質問攻め・・・・「私?弾かす」「何それ?ますますわからん・・さっきは止めたらって言ったのに」とA先生は困惑することしきり・・・・・・・・
障害があろうとなかろうと”先生と生徒”この図式は成り立つ。この部屋で”ボス”は私であって主導権は子供ではない。それがきっちりわかれば どんなことでも出来ると思う。
よくこの道しか通れない・・ここに来ると絶対お菓子を買わなければうんと言わない・・そんな保護者がいるがそれはそういう子供製造をしているのは保護者ではないのかと思う。
私のところではこの順番の次はこれ?そんなありきたりのことはしない。
どんな道でさえ通れないときもするし、お菓子だって毎回買えるとは限らない。それを決めるのは子供ではない。ピアノを弾くこれがカリキュラムに入っていたら必ず弾かせる。
もちろんここまでの道のりは長い子供もいれば短い子供もいる。しかしここまで来ると、子供がわがままで弾かないのか、何か違う理由があるのかわかってくる ・・・学校で「今日は算数やりたくなーい。あそびたい」そんなことは許されない。
やりたくなくても決められたことはする。これは社会で生きていく為には当然のことである。障害があってもコミニュケーションが取れれば十分可能である。
”障害があるから無理”ではなく積み上げていけばきっと結果は出る、そう思ってやっている私のところでは今日もポロン・ポロンと音が鳴っている