母のいのち

6月に入ったある日、「どうもお腹の調子が悪く食欲もないし、血便も出るし7月4日に大腸の内視鏡を受けるわ」と母から電話・・・ 

 

「ええ???血便????」卒倒しそうな中、母に付き添い内視鏡を受けるという母に付いて病院へ。結果は内視鏡では切除不可能、開腹することになった。 たまたま内科の先生と二人だけになり、私は 「母の腫瘍は癌でしょうか?」と聞くと「多分・・そうだと思います。もう少し早く来てくれてたら.・・・」と答えてくれました。

 

母には「切らな、しゃあないな」とあっさり言うものの、その晩入院中の母不在のなかで 父に電話して思わずことの重大さに泣いてしまった。

 

術日は18日。思えばこの4日から1週間前後が私にとってもっとも苦しい時期だった。 この先母はどうなるのだろう。こうして明日死ぬかもしれないという人が いても時間は経過し、笑っている人だっている。仕事をこなし、子供の話を聞き、家事をする。それがとてつもなく苦しいことに 思われた。

 

しかし1週間経ったある日、ふと考えた・・・ もし私が母の立場なら、子供が自分のことに悩んで家の中でも暗く、 好きなこともせず毎日を過ごしていたらどうだろうか?考えても悩んでも、病気は医師に任すしかない。

 

自分にとってマイナスのエネルギーを使うことはよくないことで、 クヨクヨしているアタシを見て、周りの人間はきっと嫌なはず。そう思うと病気と寿命は違うとかねがね言っていた母を真摯に 受け止めることができた。

私は一人っ子で母の入院により、母と話す機会がぐーんと増えた。また個室であるため、父と

三人で過ごすこともある。

結婚して20数年、そんな機会はめったとなく、両親も含めて私を取り巻く周りの人間が 私のことを丸ごと受け入れてくれているなら、どんな悲しいことでも対処できる、 そう思うようになった。

 

また病気であっても”生きたい”という意欲の元に治療に励み、 術後は声を出すことは肺機能が

活発に戻ると言えば、大きな声を出し、 少しでも歩くほうが腸の回復も早いといえば院内を歩行しそんな母を見て、生きる意味や生き方を考えるきっかけになった 。

 

「アタシは癌ではないような気がする。アタシは治るよ」と言っていた母の 手術が終わり、点滴や痛み止めの管を何本も 身体に通しながら2日後に屋上へ行ったそうだ。

 

「あーアタシは生きてる!バンザイ!」 外の空気を吸った第一声、 生きることって素晴しい・・・・