「おはようございます!」と待ち合わせすること石切神社前8時半。

「今日はどっちへ行く?」の会話から私とYさんとのランニングがスタート。もちろん山を目指しており生駒へ行ったり高安の方へ行ったり奈良の方とそのつど変わる。「ここはね、こぶしの花がきれいよ」「こぶしの花ってどんなんですか?「 見たこと無い」「これはイノシシの足跡やね」「うひゃあ・・イノシシ??」等と彼女は色々なことを教え私との会話は笑いがたえないという。

 

山は危険。一人ではコワイと思っていた私はYさんから“この辺りの低い山で遭難することはないよ。必ず間違っても下山したら電車やバスで帰れるよ。またおかしいなと思えば引き返せばいいし、しんどくなれば途中で下りればいいよ”ということを聞き、“山”というものを構えてみていた私には目からうろこだった。

 

思えば2009年はかなり辛い1年だった。2月に息子が発病し全快の見込みが全くなく親子で右往左往し、ここの病院が良いと聞けばそこへ行き、この薬が良いと聞けばそれを飲み、藁をも掴む思いで情報収集に走り辛い毎日を送っていた。

しかし症状は一向によくならず息子は母である私にこの先どうなるのかという不安や嘆き、どんどん悪くなる状況をぶちまけ、それを受け入れる私の許容もいつしかいっぱいいっぱいになっていた。

 

3・4・5月精神状態は悪くなる一方でこれでは私が倒れてしまう、心療内科の門を叩こうと思ったことも何度もあった。そんな中でも走り、泳ぎそしてピアノを弾くことを続け人間は生きているとこんなに好きなことが出来るよということを無意識に息子に伝えていた。結局私が出来ることは息子をすべて見守って受け入れること、それしかなす術がなかった。

 

そんな時Yさんと知り合い自然という中へ足を踏み入れ私の思考は随分変わってきた。

壮大な木々や清い川、こんなところに池がある・・珍しい鳥に出会い、花が咲き、今は満開のモミジや落ち葉やどんぐりが足元に転がり、柿が枝から今にも落ちそうに色づいている。

そう自然は生きているため日々見る景色は変わる。人間なんてなんてちっぽけでこんな狭い視野や世界でウジウジ悩んでいるなんてばかみたい!

こんな壮大な世界で私だって息子だって生きている・・そうそれだけでもう十分だ。山には登る途中必ず二通りの道が目の前に現れることがある。どっちでも山頂には到着するが時として“失敗や・・こっちの方が急やった”そう思うことも何度もあった。

 

しかし必ずやイバラでも苦しくても目標には到着する。きっと今息子と私はイバラ経由で山頂を目指していると思う。しかし到着しない山はない・・・・ 

 

「おはようございます!」と待ち合わせすること石切神社前8時半。

「今日はどっちへ行く?」の会話から私とYさんとのランニングがスタート。もちろん山を目指しており生駒へ行ったり高安の方へ行ったり奈良の方とそのつど変わる。「ここはね、こぶしの花がきれいよ」「こぶしの花ってどんなんですか?「 見たこと無い」「これはイノシシの足跡やね」「うひゃあ・・イノシシ??」等と彼女は色々なことを教え私との会話は笑いがたえないという。

 

山は危険。一人ではコワイと思っていた私はYさんから“この辺りの低い山で遭難することはないよ。必ず間違っても下山したら電車やバスで帰れるよ。またおかしいなと思えば引き返せばいいし、しんどくなれば途中で下りればいいよ”ということを聞き、“山”というものを構えてみていた私には目からうろこだった。

 

思えば2009年はかなり辛い1年だった。2月に息子が発病し全快の見込みが全くなく親子で右往左往し、ここの病院が良いと聞けばそこへ行き、この薬が良いと聞けばそれを飲み、藁をも掴む思いで情報収集に走り辛い毎日を送っていた。

しかし症状は一向によくならず息子は母である私にこの先どうなるのかという不安や嘆き、どんどん悪くなる状況をぶちまけ、それを受け入れる私の許容もいつしかいっぱいいっぱいになっていた。

 

3・4・5月精神状態は悪くなる一方でこれでは私が倒れてしまう、心療内科の門を叩こうと思ったことも何度もあった。そんな中でも走り、泳ぎそしてピアノを弾くことを続け人間は生きているとこんなに好きなことが出来るよということを無意識に息子に伝えていた。結局私が出来ることは息子をすべて見守って受け入れること、それしかなす術がなかった。

 

そんな時Yさんと知り合い自然という中へ足を踏み入れ私の思考は随分変わってきた。

壮大な木々や清い川、こんなところに池がある・・珍しい鳥に出会い、花が咲き、今は満開のモミジや落ち葉やどんぐりが足元に転がり、柿が枝から今にも落ちそうに色づいている。

そう自然は生きているため日々見る景色は変わる。人間なんてなんてちっぽけでこんな狭い視野や世界でウジウジ悩んでいるなんてばかみたい!

こんな壮大な世界で私だって息子だって生きている・・そうそれだけでもう十分だ。山には登る途中必ず二通りの道が目の前に現れることがある。どっちでも山頂には到着するが時として“失敗や・・こっちの方が急やった”そう思うことも何度もあった。

 

しかし必ずやイバラでも苦しくても目標には到着する。きっと今息子と私はイバラ経由で山頂を目指していると思う。しかし到着しない山はない・・・・