別れと出会いの季節

大学を卒業してある会社へ就職した。

ピアノの先生ではなかったけれど、そこでも”せんせい”と呼ばれる仕事に就いた。

仕事は大変面白く、今まで勉強してきたことがそのまま生かせる職場で、人間関係にも恵まれていた。

やがて結婚し共働きを続けていた矢先2度も流産してしまった。入院や退院、今後子供を授かることができるだろうかと言う不安、それ以上に現場で仕事が出来ないことを痛感し、やもなく退職した。

悲しい春だった。

 

数年経ったある日、元の職場から午前中だけお手伝いをして欲しいと依頼を受けた。

その頃ピアノ講師として歩き出した頃で、生徒は二人。まだまだ社会復帰とは言い難く子育てがメインであった私は二つ返事で飛びついた。退職して7年目の嬉しい春であった。

 

復帰後第一弾の仕事は未就園児を預かるプレ幼稚園のようなところで、運動や工作や音楽、また散歩やプールや遠足とかなりハードな内容のものだったが、子育てを経験したせいか違った目で子供を見ることができた。

そこで4歳のA男と知り合った。彼はやってくるといつも走り回り、決して目が合うことも言葉をやりとりすることもなく、自分にしかわからない独り言をしゃべり、いつも自分の世界に浸っているようだった。

もちろん順番を守ってマット運動することもなく、手を繋いで公園へ行こうとすると逃げ回りほとほと指導者の手を焼かせた。

 

しかし指導者がピアノを弾き始めるとピアノの前にやってきて、その時だけはニコニコしてピアノを触ろうとしたり、また興味津々で歌を聴いたりしていた。

どうも普通の子どもではないぞ、当時そう感じていた。 主任から「A男は自閉症なのでこちらの意思が通じないのはしかたがない。」と聞いた。

自閉症?どんな病気?しかしあれだけ自分の世界に浸りながら、音に対して敏感で音楽に対する興味はなんだろう・・私には疑問だらけでまたどういった構造でこの病気になり、特性は何か、完治するのか・・

意思が通じなくても音で何かやり取りで来きないものか?

そんなことが頭を埋めき”知りたい・・わかりたい・・”そう強く思った。 

A男との出会いで私の仕事はどんどん変わり自閉症というものに引き込まれ,今では生徒の3分の1が障害児になった。「なぜ、障害児にピアノを?健常者のほうが理解もしてくれるしやりやすくないの?」と今まで何度も質問を 受けた。しかし会話が出来なくても遅々としていても、進歩している彼らを見ると

「やりがいがあるから」と答えてしまう。

 

3月21日にこの生徒達11名が舞台に立つ。

もちろん言葉のやりとりができない子どもとはアイコンタクトになる。

改めて舞台になって”音楽っていいなあ・・・発表するっておもしろいぞ”そういう嬉しい

出会い・新たな発見になってほしいと願っている。