人生初めての嬉し泣き

私は中学から競泳を始めた。それまで全く運動音痴だった私があれよあれよという間にタイムが伸びて、 中学2年の時には全中(全国中学)へ出場し、中学3年の時にはオールジャパンという 国内でもっとも大きな試合にも出場し、水泳選手が憧れる 国立代々木オリンピックプールという国際試合で使われるプールでも泳いだ。 

 

当時私のの通っていた中学からこのような大会に出場した選手は居らず、校長先生から表彰してもらったのを覚えている。

高校の時も同じでインターハイを3回経験し、秩父宮殿下から大きな表彰状を貰い、 国体選手として大阪府の税金を使い、これまたメドレーリレーで 日本新なるものを更新した。

 

母から「音大はどうするの?」と当時まだ二足のわらじを履いていた私は 「ピアノはおばあさんになってからも出来る。水泳は今しかでけへん」と あっさりピアノに決別して、大学でも競泳を続けた。その結果、インカレで総合優勝し国体は5回も出場して、南は宮崎、北は青森まで遠征した思い出がある。

 

我が家の次男が中学から私と同じ道を歩んでいる。毎日真っ黒になって練習を積んでいるが輝かしい実績はない。実家に帰るたび、無造作に置いてある私の賞状やメダルを見るに付け「お母さんは凄いなあ・・羨ましいなあ・・」と常々言っている。 

そんな中ツレアイなどは「お母さんが速かったから、おまえはプレッシャーやろ」 と聞いたことがある。しかし次男は 「全然・・反対にいろんなアドバイスも聞けるし、練習の話もできるから やっててくれてよかったよ」とかなり前向きで安心したものだ。

 

毎日のレッスンで「モーツァルトはね・・ソナタ形式は・・」などとしゃべっているアタシが生徒に”さようなら”をすると、すぐさま次男に 「練習どないやったん。調子は?」となり「今日はブロウクンで・・・入りは・・明日からぼちぼちテーパーらしいわ」となる 「50x4では・・・」とこれまた専門用語が飛び交い、家人等はちんぷんかんぷんである。 

 

そんななか大阪府下の大会が8月初旬に行われた。ほとんど息子の試合は欠かした事が

ないのに、その日はあいにく仕事の都合が付かなかった。50メートル平泳ぎで息子は10人中9番という成績で初めて個人種目で決勝に残った。 

競泳は文字通りイタイムを競うもので、0.01を争うスポーツでかなりの接線になる。

0.2もあれば肉眼でも勝敗がわかる。 

 

結果なんと息子は2番になった!!帰宅後誇らしそうにメダルを持って帰ってきた。

「スタートは?浮き上がりはどうやったん?タッチはおうたん?ピッチ数は?隣は見えたん?」という私の矢継ぎ早の質問に 「何も覚えてない・・掲示板見たら2番やった(笑)」という息子。

 

「表彰台に初めて上がって賞状貰った時、泣いてしもた! オレこんな嬉しい思いしたんは生まれて始めてや・・号泣した(笑)あー恥ずかしい!」 横で長男が「羨ましいなあ・・オレは今まで生きてきてうれし泣きなんかしたことないなあ」 ”え?泣く?泣く・・” 数々のタイトルを取ったり、賞状もメダルも息子の数倍もあるのに 私は泣くほどの経験をしたことがない・・・それなりに優勝して嬉しかった記憶はあるが、心が感動して人目もはばからず 泣いたことはない。

そんな熱い高3の夏がまもなく終わり、これからまた 私と同じ大学での道を選ぼうとしている。 

 

息子のメダルは小さいが私が当たり前のように貰ったものより数倍の価値がある。

泣けるほど感動して泳いだ息子が羨ましい・・ 立場の逆転、私を越えた夏でもあった。